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動く彫刻の始祖として知られるアレクサンダー・カルダー(Alexander Calder、1898年7月22日 – 1976年11月11日)。

その作品は世界各地に設置され、世界中の人々に親しまれています。

カルダーはなぜここまで世界的に知られる彫刻家となったかなどについてまとめてみました。

 

Contents

アレクサンダー・カルダーが芸術を志すまで

アレクサンダー・カルダーは、祖父と父が彫刻家、そして、母が画家という美術一家に生まれ、幼少から芸術に触れて育ちました。

カルダーは青年時代には職人を志向し、その結果、Stevens Institute of Technology(工業大学)に進学しました。

エンジニアとなり、大学を卒業後、幾つかの仕事を転々としていました。

この転々とした時の仕事のひとつに、客船『H.F.アレクサンダー号』のボイラー室の機関士の経験があります。

この客船で機関士をしていた時に、その船中から「赤い日の出と銀の月が向かい合う光景」を目撃し、衝撃を受けたと言います。この経験は、彼のその後の制作の中心となる「宇宙」への興味が始まったきっかけとなり、アーティストへの道を踏み出す理由のひとつとなりました。

結局、このような経験もあり、芸術の道を志すようになっていき、1923年にはニューヨーク・アート・スチューデント・リーグに入学し、その後芸術家としての道を歩んでいきました。

 

アレクサンダーカルダーのサーカスがパリで評判を呼び、一躍、有名に

カルダーが飛躍したきっかけは、パリのSalon des Humoristes「カルダーのサーカス」の上演でした。

針金を用いた動く素材を用いて表現する斬新な”サーカス”は、アーティスト・コミュニティーの人々だけでなく、大衆をも熱狂させました。

これを機に、カルダーが一流の芸術家の仲間入りすることとなります。

 

同時代のアーティストからの大きな影響

また、サーカスでの上演を通じてたくさんのアーティストと出会いました。

これにより彼の芸術はさらに飛躍していきます。

ジョアン・ミロ、マルセル・デュシャン、ジャン・アルプ、ピエト・モンドリアン、フェルナン・レジェなど、錚々たるアーティストたちでした。

大きく影響を受けたアーティストのひとりとして知られるのが、モンドリアンです。

1930年、カルダーは、モンドリアンのスタジオを訪れます。その時の様子を以下のように述べています;

それはとてもエキサイティングな部屋だった。光が左右から入り込み、そして、窓と窓の間の壁には、カラフルに塗られたカードボードの長方形の作品たちが実験的に大胆に存在していた。

私はモンドリアンに提案した。「このカラフルな長方形を振動させたら面白くないか?」と。

彼は、とても静かな口調で「いや、その必要はない。私の作品はすでにとてもはやく振動している」

この訪問は、私に大きな衝撃をくれた。新たなものごとを始めるには十分なほどのね。

この時のモンドリアンの抽象芸術の作風や発言に影響を受けながらも、結局、カルダーは動く彫刻の制作へと没頭してきました。

結果として、1931年にカルダーのアトリエで、彼が制作する動く彫刻に、

親交があったマルセル・デュシャンが「モビール/Mobiles」と命名。

また、1932年には、ジャン・アルプが地面に設置され固定される形の彫刻に「スタビル/Stabiles」と命名しました。

このように様々なアーティストとの交流の中で自身の作風が確立していきました。

 

カルダーの作品

1937年には、パリ万博で「水銀の泉」を制作し、ピカソのゲルニカと共に展示され、国際的なアーティストとしての地位を確立していきます。

1943年には、ニューヨークのMoMAで大規模な回顧展が開催され、世界的に活躍していき、更なる活躍の場をパブリックアートへと広げていきました。

(その後の活躍は、文末の略歴を参照ください)

 

水平線/Horizontal(1974年)@ポンピドゥセンター、パリ

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ファブニールドラゴンⅡ(1969年)@名古屋市美術館前

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モビール、スタビル、ハンギングなど、キネティックアートの始祖とも言えるカルダー。

日本にもこのキネティックアートで世界的に活躍している彫刻家がいます。

日本のカルダーともいえる風と水の彫刻家・新宮晋です。

 

彫刻家 新宮晋 /「新宮晋の宇宙船」展〜Spaceship Susumu Shingu〜

新宮晋は、世界を舞台に活躍する彫刻家で、これまで数十年にわたり、風や水といった自然の力で動く彫刻を制作しつづけてきました。

新宮晋の全国巡回展についても書いています。

こちらも是非ご覧ください。

 

アレクサンダーカルダー略歴

1898年 フィラデルフィアで芸術一家の家庭に生まれる。

1919年 工業大学を卒業

1923年 Art Students League in New York Cityに入学。

1926年 ニューヨークのギャラリーで自身初となる絵画の個展開催。この時、パリに渡る。

1927年 「カルダーのサーカス」をSalon des Humoristes(パリ)で上演し、大きな評判となる

1928年 ニューヨークのワイイー画廊で、針金彫刻による初個展を開催。

1931年 ルイーザ・ジェームズと結婚。

1933年 アメリカのコネチカット州の農場に移住。

1935年 舞踊家マーサグラハムの舞台装置デザインを手がける。

1937年 パリ万博で、スタビル「水銀の泉」を制作。

1939年 MoMAに「ロブスターの罠と魚の尾」を制作・設置。

1943年 MoMAで初の個展を開催。このころ、アムステルダム、ベルン、リオデジャネイロ、サンパウロ、ボストンなどで次々と回顧展を開催。

1952年  ヴェネツィア・ビエンナーレ、彫刻部門で国際大賞受賞。

1957年 ジョンFケネディ空港にモニュメント「.125」を制作・設置

1958年 パリのユネスコ本部ビルにスタンディング・モビール「渦巻(La Spirale)」制作・設置

1968年 メキシコ五輪のため作られた自身最大の作品、20.5mの高さの「赤い太陽(El Sol Rojo)」制作・設置

1973年 アメリカの航空会社「ブラニフ航空」に依頼され、航空機『空飛ぶキャンバス』を制作

1975年 アメリカ建国200年を記念してボーイング727にペイント。2機目の『空飛ぶキャンバス』。

1976年 ホイットニー美術館で大回顧展開催。その直後、死去。



 

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