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フランスの彫刻家 アリスティド・マイヨール(Aristide Bonaventure Jean Maillol、1861年12月8日 – 1944年9月27日)は、ロダン、ブールデルに続く彫刻家として知られ、世界的に知られた彫刻家のひとりです。

このマイヨールの作品や影響について紹介していきます。

 

彫刻家として活動し始めたのは40歳以降!

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マイヨールが彫刻家として本格的に活動し始めたのは、実は40歳を越えた時からでした。

それまでは、タペストリーの一家に生まれて以降、早い時期から画家を志望した結果、パリでエコールデボザールに入学しました。

同時期に出会ったのが、同い年の彫刻家アントワーヌ・ブールデルでした。マイヨールの良き理解者として、彼の芸術を支えた協力者の一人でした。

結局、マイヨールは、念願のエコールデボザールに入学できたものの、その授業に失望し、当時前衛芸術とされていたナビ派やゴーギャンといった画家に大きな影響を受けていったのでした。

そして、ゴーギャンの勧めもあり、1893年には、生まれ故郷であるバニュルス=シュル=メールに戻り、原点である、絨毯やタペストリーの仕事を始めました。

その見事な仕事は、新たな芸術の形として、パリでもたちまちその評判を呼ぶことになりました。

その後、1895年頃からテラコッタの彫刻の小品を制作し始め、どんどん彫刻にのめり込んでいき、また、視力に問題を抱えるようになっていったことも後押しとなり、次第にタペストリーに対する関心は薄れていき、また、絵画の世界から彫刻家へ本格的に転向するようになっていきました。

以降、1902年には、彫刻家として個展を開催し、妻であるナルシスをモデルとした「Seated Women」改め「地中海」は、彼の代表作のひとつであり、出世作ともなるなど、順調に彫刻家としてのキャリアを積んでいきました。

 

マイヨールの女性像とマイヨールが与えた影響

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マイヨールは、一貫して「成熟した女性」をモデルとして制作をし続けました。

そのシンプルな構成になめらかにボリューム付けされたフォルムは、当時の近代フランス彫刻芸術の流れに、古代ギリシャ時代の彫刻美を取り入れ融合させたとして、高く評価されました。

当時、世界を席巻していた、近代彫刻の祖であるオーギュスト・ロダンによるロダニズムからようやく脱出し、独自の作風を築き上げることにより、マイヨールとしての彫刻の境地を開拓していくことになりました。

この女性像への傾倒は、さらに、亡くなるまでの10年で加速していきます。

1934年、75歳の時に出会った15歳の少女、ディナ・ヴィエルニは、マイヨールの理想的なモデル像であり、彼にとって運命的な出会いでした。

このディナ・ヴィエルニが彼のモデルとなり、マイヨールが1944年に事故死するまでの間、多くの作品を生み出していきました。

 

マイヨール美術館とその作品

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マイヨールの死後、このディナ・ヴィエルニが、マイヨール作品を管理することとなり、パリにあるマイヨール美術館と、故郷であるバニュルス=シュル=メールのマイヨール美術館の設立にたずさわりました。

そのほかにも、パリのチュイルリー公園には20体以上のマイヨール作品が設置されており、

また、MoMAやオルセー美術館といった世界に誇る美術館にもマイヨール作品は数多く所蔵されています。

 

日本でマイヨール作品が見れる場所

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私が確認している限りですが、

恵比寿ガーデンプレイスタワーの玄関口に写真の通り、マイヨールの作品が設置されていますし、

国立西洋美術館の常設展示室にも、マイヨールの「夜」が展示されていました。

(ただし、常設展も定期的に展示物が切り替わるので、必ずあるとは言い切れませんが)

恵比寿ガーデンプレイスには、ロダンの彫刻なども屋外に設置されているので、ぜひご覧くださいませ。

 

フランスの彫刻家アリスティド・マイヨール作品の購入

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マイヨール作品ですが、購入することも可能です。

日本ではオークションで年に数回出品されたり、個人の方で売却したいという方もいらっしゃいます。

ただし、マイヨールの作品は、その鋳造のルールが若干複雑で、真贋の問題等を孕む可能性があります。

ご興味のある方は、お問い合わせください。

 

 

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