ロミオとジュリエット、1902年

1902年にプラハで行われたロダン展で初めて展示されたこの作品グループは、バルコニーを乗り越えるためにシスティーナ礼拝堂のイグニディに似せたポーズをとった、ロミオを抱きしめる気だるい様子のジュリエットを表している。この作品グループは、ロダンの1900年以降の作品の中で、特別な位置を占めた。
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ピグマリオンとガラテア、1900年-1905年頃

このブロンズの主題は、オウィディウスの「変身物語」が元になっている。バルカン人が初めて女性の彫刻を制作した際、ピグマリオンは、神が創造したこの像に恋をし、アフロディーテにこの像を本物の女性に変えてくださいと懇願した。ロダンはポール・グゼルに、これら作品グループの最初のポイントは、「ミノタウロス(1886年頃)」だったと説明している。
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ピエール・ド・ヴィッサン、頭も手もない裸の記念碑

カレー市は、1年間続いた包囲戦の後、1347年に、イングランドの王に街の鍵を渡すため、自らの命を犠牲にすることを受け入れた市民たちの勇敢さに敬意を表したいと考えていた。市長オメール・ドゥワブランは「全国的に寄付を募って、ウスタシュ・ド・サン・ピエールとその仲間たちの記念碑を建てよう」と市議会に提案した。何日か経って、ドゥワブランは、画家の紹介でロダンと知り合いになり、その後10年間、二人の共同作業は続いた。
「カレーの市民」は、ヌード、フルサイズで鋳造されている。そして服を着せられてから初めて、ピエール・ド・ヴィッサンを含む最初の3人の像の展示が、1887年5月にジョルジュ・プチで行われた。
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壺をもつカリアティード、1918

カリアティード(女像柱)は1881年から1882年頃に制作された。カリアティードはあらゆる面から見ることができるように作られている。その螺旋状の構図で、カリアティードは、観る者に彼女の周りをまわるように強く促す作品の1つである。彼女は「うずくまる女」にも非常に近いが、ロダンは自身であえて、2つの像の間に混同を作り出している。
この像は、1886年にジョルジュ・プティ・ギャラリーで行われた「疲れた女性たち」の作品グループ展でも再び登場している。
同じく展示された「私は美しい」と同じように、この像はボードレールの詩を「碑文で」身に纏っていたのだ。
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