ラオコーン
西洋の彫刻といえば、どのようなイメージを持っていますか?
私がすぐに思い浮かぶのは、《サモトラケのニケ》や《ミロのヴィーナス》と言った「白亜の大理石像」です。みなさんも同じようなイメージをお持ちかと思います。
では、このイメージは、どのように定着したのでしょうか?
今回は、このイメージの出発点である「古代ギリシャ・ローマの彫刻」から、第二次世界大戦ごろまでの西洋彫刻までの歴史を5つの流れにそって解説します。
Contents
5つの西洋彫刻の流れ
結論から言えば、上記の5つの流れがあります。簡単にみていきましょう。
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1)古代ギリシャローマ彫刻(紀元前から4世紀ごろまで)
2)ルネサンスバロック彫刻(15世紀から19世紀)
3)近代彫刻ロダン(19世紀〜)
4)20世紀ポスト・ロダン(20世紀)
5)戦後彫刻
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このような流れになります。
1)古代ギリシャ・ローマ彫刻(紀元前から4世紀ごろまで)
この古代ギリシャ・ローマの彫刻がいわゆる「白亜の大理石」です。
西洋美術の世界の「美の基準」とも言える作品群が並んでいます。
この中でも、とりわけそのイメージを形成するのに役立ったのが、《ラオコーン》です。
この作品が制作されたのは、ローマ時代になります。
しかし、長らく地中に埋まっていたこの作品。実は掘り返されたのが、ルネサンス全盛の時代です。
そして、そこに立ち会ったとされるのが、あのミケランジェロです。
2)ルネサンスバロック彫刻(15世紀から19世紀)
神の如きミケランジェロ。師匠のギルランダイオを驚愕させたこの芸術家は、史上最も偉大な彫刻家とされます。
このミケランジェロに大きな影響を与えたのが、上述した《ラオコーン》でした。
地中から生まれ出たギリシャ彫刻のその精巧さと大胆さは、ミケランジェロに大きな衝撃を与えたのでしょう。
そして、ミケランジェロは、完成されたルネサンス期の作品に、うねりや誇張を取り入れていき作風を変化させていき、亡くなります。
その結果、マニエリスムという美術様式へと繋がっていき、また、バロック美術に時代が移行していきました。
そして登場するのが、ベルニーニです。バロックを代表する彫刻家として、ローマはベルニーニの彫刻が数多く設置されています。
その後、特筆すべき彫刻家は現れず、彫刻は衰退期に突入します。
3)近代彫刻ロダン(19世紀〜)
そんなムードを打ち破ったのが、近代彫刻の父と言われるオーギュスト・ロダンです。
彼の登場によって、彫刻は近代を迎えます。
その近代性は、
・彫刻のモチーフの革新
・制作方法(アセンブリングなど)の革新
によって、「内なる生命感を表出させるような革新的な表現」が実現されていきました。
4)20世紀ポスト・ロダン
ロダンの圧倒的な影響力の元、さまざまな表現が生まれていきました。
ロダンの弟子の名前を挙げればキリがないくらい、たくさんの彫刻家が名を連ねましたが、
その中でも特筆すべきは、ブランクーシです。
また、彫刻の世界に多大なる影響を与えたのは、パブロ・ピカソ、マルセル・デュシャンでした。
ブランクーシ、ピカソ、デュシャン。
彼らの偉業の詳細については、拙著をご覧いただけたらと思いますが、
・彫刻の制作方法に革新を起こした
・抽象彫刻の扉を開いた
・見るアートから考えるアートへ
と言った点で、西洋彫刻の歴史に残る存在となっています。
また、20世紀の動向として重要なのが、「彫刻が動き出した」という点があります。
それは↓の記事に詳細を書いていますので、ご参考くださればと思います。
5)戦後彫刻
戦後、美術の中心は、アメリカへと移行していきました。
その中で、彫刻を制作する素材もFRPと言ったプラスチック素材が用いられるようになります。
また、今までは「色」がなかった彫刻ですが、塗装技術の発展等もあり、カラフルな彫刻が登場していきました。
その代表的な存在が、デビッド・スミスやドナルド・ジャッド、クレス・オルデンバーグ、キース・ヘリングなどの抽象表現主義、ポップアート、ミニマリスムなどの動向です。
このような動向から派生していったのが、一時渡米して活躍した草間彌生などのアーティストでした。
ということで、今回は西洋彫刻の流れについて、簡単にご紹介しました。さらに詳しいエピソードなどは、ぜひ、拙著『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』をお読みいただけたらと思います。