日本のカルダー新宮晋

 

全国各地で見ることができる「動く彫刻」。

例えば、美術館の玄関口に置かれていたり、公園などに設置されている場合もあるでしょう。

また、噴水のように見えて、実はアート作品として設置されるものもあります。

 

これら彫刻は、風や水といった自然の動力で動く場合もあれば、電気などを使用したものもあります。

これら「動く彫刻」は、西洋美術の世界では、「キネティックアート」や「モビール」と呼ばれており、世界中に存在しています。

 

キネティックアート(Kinetic art)とは、動的(kinetic)なアートという意味であり、風や水などで動いたり、または電気系統を用いて動かしたりするアート作品全般のことをさします。

つまり、動く彫刻を総称したものであり、その一つの形態が「モビール」と呼ばれる動く彫刻になります。

このモビールは、便器の作品で有名なマルセル・デュシャンが、アレクサンダー・カルダーの作品を見た際に名付けたと言われており、特にカルダーの制作する風で動く作品を原点としてモビールという用語が使われます。

 

でも、実はこういった「動く彫刻」が登場したのは、比較的新しい時代になってからです。

具体的には、20世紀に入ってから主流となりました。

 

では、なぜこういった動く彫刻が登場してきたのでしょうか?

登場の背景について、西洋美術史の観点から、その背景について解説します。

 

Contents

① 20世紀以前の彫刻

オーギュスト・ロダン《青銅時代》

 

そもそも、20世紀以前の彫刻は、どのようなものが主流だったのかをご紹介する必要があります。

すなわち、20世紀以前の西洋彫刻の歴史は、以下のような3つの時代に分けられます;

 

・古代ギリシャローマ彫刻(紀元前から4世紀ごろまで)

・ルネサンスバロック彫刻(15世紀から19世紀)

・近代彫刻ロダン(19世紀〜)

・20世紀彫刻革命(20世紀)

 

以上のような流れになります。

これらを簡単に解説すると以下の通りです;

 

・古代ギリシャローマ彫刻(紀元前から4世紀ごろまで)

白亜の大理石像。サモトラケのニケやミロのヴィーナスなどの西洋美術の美の基準となる時代

 

・ルネサンスバロック彫刻(15世紀から19世紀)

古代ギリシャローマを理想として復興した芸術の時代「ルネサンス」。

この時代を代表する彫刻家は、大理石を彫刻した彫刻家ミケランジェロ。

ミケランジェロの後に続くのが、バロックを代表する彫刻家ベルニーニ。

これ以降、彫刻は「変わり映えのしない衰退期」に突入。

 

・近代彫刻ロダン(19世紀〜)

近代の革命児となったのが、ロダン。

その理由は、「モチーフの革命」と「制作方法の革命」「台座からの解放」といった様々な「制約からの解放」を実現したから。

その制作の中心は、ブロンズ彫刻。

伝統的なブロンズという素材を用いて、生涯に7000点以上の作品を制作し、歴史に名を残しました。

 

このような流れの中で、登場してきたのが、20世紀の彫刻たちです。

 

②20世紀になって登場してきた彫刻

パブロ・ピカソ《無題》

 

ロダンの彫刻の流れを引き継ぎながら、発展させたのが、ピカソでした。

そして、ピカソとコラボレーションをして彫刻を制作したのが、フリオ・ゴンサレス

この二人が用いたのが、アセンブリングという手法でした。

 

その手法によって制作される作品の代表的なもの。

それは、「鉄彫刻」です。

ブロンズ彫刻が主流だった彫刻界に持ち込まれた新たな素材が「鉄」でした。

では、この鉄が登場したのはなぜでしょうか?

 

それは一言で言えば、「自動車が登場してきたから」です。

この自動車に不可欠な素材が「鉄」でした。

また、この鉄を自在に操るのに必要な技術がありました。

それが「溶接」です。この溶接技術こそが、アセンブリングという手法を実現していくのに非常に重要な「テクノロジー」だったわけです。

 

③動き出した彫刻〜なぜ動く彫刻が登場してきたのか?

アレクサンダー・カルダー《ファブニールドラゴンⅡ》

 

ということで、20世紀に入ると、身の回りに「自動車」という異物が当たり前のように走り始めます。

この鉄の異物は、人々の社会の光景を一変しました。

 

20世紀のはじめに出てきたこのような動きは芸術家たちに大きなインスピレーションを与えます。

その先鋒が、イタリア未来派の彫刻家ウンベルト・ボッチョーニです。

非常に短い人生でしたが、ボッチョーニは、彫刻に動きをもたらした最初期の人です。

 

そして、同時期に同様の動きをしていたのが、ロシア出身の彫刻家ナウム・ガボです。彼は、モーターで動く彫刻を制作します。

このような技術も、自動車等の技術革新の結果、身の回りに出てきた「最先端のテクノロジー」だったわけです。

 

そして、このような動向の結果、アメリカ人の彫刻家アレクサンダー・カルダーが、「動く彫刻」を大きく展開させていきます。

 

それが「モビール」という風で動く彫刻でした。

カルダーは、レディメイドで有名なマルセル・デュシャンと交流があったのですが、カルダーの動く彫刻を見て「モビール」と名付けたそうです。

 

これ以降、彫刻が本格的に動き出しました。ちょうどこの時期は、第一次世界大戦と前後しています。

ヨーロッパが戦禍の中心となった時期。フランスに住んでいたアーティストたちは、アメリカに逃れました。

その代表格がデュシャンです。一方で、カルダーはアメリカ人でしたが、渡仏することでデュシャンと知り合っていきました。

フランス人だったデュシャンは結局、アメリカに帰化します。

この、フランスとアメリカを行ったり来たりして「動いてきた二人」によって、フランスの芸術はアメリカに移植され、アメリカは、戦後最大のアートマーケットへと成長していったのです。

こういったことからも、文化の中心が「動いた」理由の真ん中に、「動く彫刻」があったと言えるのです。

 

ということで、今回は「動く彫刻」(キネティックアート)がなぜ、どのようにして発展してきたのか?についてご紹介しました。さらに詳しいエピソードなどは、ぜひ、拙著『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』をお読みいただけたらと思います。

 

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