パブリックアートとは?
町中でアートを目にすることが当たり前になり「パブリックアート」という言葉をよく耳にするかと思います。
その登場はまだまだ歴史が浅く、パブリックアートという概念は1970年代の高度経済成長を背景に日本に輸入されました。その概念を日本に持ち込んだのが、私たちであり、日本の草分け的な存在の一つです。
昨今では、街中や公園、さらには、「●●●芸術祭」「●●トリエンナーレ」など、屋外にアート作品を設置し鑑賞したりが当たり前になってきました。
では、そもそもこのパブリックアートとは何なのでしょうか?
Contents
パブリックアートとは?
室生山上公園芸術の森(奈良県/ダニ・カラヴァンにより制作)
パブリックアートとは、日本語に直訳すれば、
「公共の芸術」という意味になります。
つまり、「パブリックアート」とは、公共空間に設置された芸術作品のことを指します。
元々このパブリックアートという概念が広まり始めたのは、アメリカだと言われています。
- 1929年に起きたアメリカの大恐慌が発端となり、大不況に。政府は、「連邦美術計画」(フェデラルワンの一部)という支援策を策定し、アート作品を公共の場所で制作するための投資を実施。芸術家たちへの支援をすすめた。
- この政策により、街中に数々のパブリックアートが誕生。これがアーティストたちの生計を支えることになり、アーティストを続けることができた。
- 結果として、この時に育ったアーティストたちが戦後のアメリカの文化を牽引。ジャクソン・ポロックに代表される「新抽象表現主義」という美術ムーブメントが誕生し、戦後、世界一の文化大国としてフランスを凌駕するまでになった。
- この一環として生まれてきたのが、公共の芸術「パブリックアート」。
- 公共建築にアート作品が組み込まれていき、アメリカ発のアーティストたちが活躍。
- こういったムーブメントは、フランスでも拡大し、1950年には、公共建築の予算の1%程度をアート制作に充てるべきとした「パーセントフォーアート」を義務化。フランスでも数々のパブリックアートが誕生。
弊社の顧問 堀越誠は、彫刻という芸術を日本で広めようと1970年代から活動を始めます。
ロダンやヘンリー・ムーアといった欧米の巨匠の彫刻家たちの作品を日本で輸入・販売する「現代彫刻センター」を立ち上げ、売買を開始。彫刻という芸術を根付かせようと奮闘してきました。
そのような時代に、街づくりやアートなど、文化先進国であったフランスという国の
「彫刻のあるまちづくり 芸術が都市をひらく」
というコンセプトに出会うこととなります。
このコンセプトに大変に感銘を受けた、当時はまだ現代彫刻センターの役員であった堀越は、フランスの文化庁の担当官であり、彫刻のあるまちづくりを推進していた「モニクフォー女史」と交流するようになりました。
そして、その交流を通じ、彫刻のあるまちづくりや、パブリックアートを推進。
「芸術が都市をひらく」という、当時先駆的であった考え方を、日本に輸入し移植してきました。
その結果、
「釧路幣前橋での道東の四季<春><夏><秋><冬>」(1977年オープン)
「仙台市彫刻のあるまちづくり」(1977年開始)
「札幌芸術の森 野外彫刻公園」(1986年オープン)
といった日本の最初期のパブリックアートのプロジェクトを実現していきました。
以降、彫刻作品が公共空間に設置され、徐々に全国の自治体に拡まっていきました。
この頃から、「パブリックアート」が日本全国に広がり始めました。
パブリックアートの先進事例であった「仙台市彫刻のあるまちづくり」
例えば、杜の都仙台の象徴としても表されるエミリオ・グレコの夏の思い出などがわかりやすい事例かと思います。
また、宮城県出身で、日本を代表する彫刻家 佐藤忠良の作品も、仙台市彫刻のあるまちづくり事業を代表する作品を台原森林公園に設置しています。代表作としても名高い「緑の風」です。
当時は、彫刻を屋外に設置するということ自体が非常に斬新でした。そして、各自治体がこぞって屋外空間に彫刻作品を設置していきました。
このように、彫刻を街中に設置し都市を芸術空間、情操の場として仕立て上げて行ったのが、ちょうど日本のバブル期である80年代でした。
この頃、屋外に次々と彫刻作品が設置され「パブリックアート」が広まっていきました。
彫刻のあるまちづくり「オーダーメイド方式」の普及
それまでは屋内、すなわち、美術館やギャラリー内でだけ展示されていた芸術作品が、
屋外空間に設置されることを通じて、「不特定多数の人たちから鑑賞される対象」になりました。
さらに、これにより芸術自体が人々に親しみやすくなり、芸術との距離を縮めることに成功。
多くの人が気軽に芸術に触れられるように変化して行きました。
仙台市の彫刻のあるまちづくりは、当時多くの反響を得て、他の多数の自治体から同様の事業を依頼されていきました。
この反響を得た理由のひとつが、彫刻設置の「オーダーメイド方式」にあります。
それまでは、既存の制作済みの彫刻をその場に並べて展示して行くのが普通でした。
しかし、この仙台市の彫刻のあるまちづくりでは、その場所や空間、そして、歴史等に合わせたオーダーメイドの彫刻作品が設置されていきました。
オーダーメイド方式は、今では当たり前の考え方ですが、当時はとても斬新で、全国に広まっていきました。
これは、コミッションワークやサイトスペシフィックアートとも呼ばれ、現在では一般的な考え方となっています。
▼コミッションワークの具体的な事例はこちら↓
▼コミッションワークとは?
彫刻公害
こういったバブル期に数多く設置されたパブリックアート。ですが、あまりに多くの彫刻が街中に置かれていった事態は、次第に「彫刻公害」という言葉をうみました。
あまりにたくさんの芸術作品が屋外スペースに設置されたことを揶揄する言葉ですが、実際に、現在ではメンテナンスがされずに放置された彫刻が数多く見受けられます。自治体の予算の縮小により、こういった芸術作品がお荷物となり、汚損された姿で放置されているのを見るのは非常に胸が痛みます。
野外彫刻公園とパブリックアート
一方で、今まで作品の展示が美術館の中であることがほとんどだった美術館が変化していきます。
それは、箱根彫刻の森美術館をはじめとして、札幌芸術の森・野外美術館や霧島アートの森といった「野外彫刻」を中心とした彫刻作品の登場です。
こういった美術館に加え、室生山上公園 芸術の森などは、イスラエルの彫刻家 ダニ・カラヴァンによって手がけられた空間芸術です。ランドアートや環境彫刻などとも呼ばれ、「自然環境を彫刻する動き」につながりました。
「空間に生きる-日本のパブリックアート」展
余談ですが、実は、パブリックアートに関しては、全国での巡回展を企画し、実施したことがあります。
それが、「空間に生きる-日本のパブリックアート」展です。
札幌芸術の森美術館、世田谷美術館、金津創作の森などを巡回しました。
日本のパブリックアートの模型や写真、映像などで構成したこの展覧会は、日本のパブリックアートを総括する一つの展覧会となりました。
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以上、パブリックアートと関連するキーワードやプロジェクトなどをご紹介しました。
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