グレコ.001イタリアを代表する現代具象の彫刻家 エミリオ・グレコ(1913年10月11日 – 1995年4月5日、Emilio Greco)。

今回は、日本にも多くの作品が設置されているグレコについて取り上げます。

 

エミリオ・グレコとは?

エミリオ・グレコは、イタリアのシチリア島で生まれました。

13歳の頃には、家が貧乏だったことや、学業に向かない性格だったこともあり、

墓碑等を取り扱う石工の徒弟となり、古代彫刻の修理や墓碑制作に従事することになります。

その後、パレルモの美術学校で彫刻を学ぶなどして、

1933年、自身が二十歳の頃に、シチリア地方美術展に出品し、彫刻家としてデビューしました。

その後制作を続けていましたが、終戦を迎えて以降、1946年に自身初となる個展を開催。

33歳でした。

その後、ヴェネチア・ヴィエンナーレで彫刻大賞を受賞するなどして、イタリアを代表する彫刻家となりました。

日本でも個展が開催された他、パリのロダン美術館で展覧会を実施するなど、世界的に活躍しました。

 

エミリオ・グレコの作品

夏の思い出@仙台市定禅寺通り

仙台に行かれたことがある方は、目にしたことがあるかもしれませんが、

仙台市のシンボル的な彫刻となっているこの「夏の思い出」。

仙台市の定禅寺通りに設置されています。

今から30年ほど前に仙台市の事業の一環として行われた

「仙台市彫刻のあるまちづくり」事業の第1期作品のひとつとして、佐藤忠良舟越保武の作品と共に設置されました。

 

グレコ.001

 

水浴の女@横浜ベイシェラトン前

グレコの代表作のひとつ。日本各地に設置されている作品。

グレコ1.001

うずくまる女@丸の内ストリートギャラリー

グレコ3.001

この他にも、箱根彫刻の森美術館には、グレコガーデンがあり、グレコの様々な作品を目にすることができます。

 

エミリオ・グレコに影響を受けた彫刻家たち

日本の彫刻家でグレコに影響を受けた彫刻家は非常に多くいます。

特に、日本を代表する彫刻家・佐藤忠良についてはグレコを始めとするイタリアの彫刻家の影響を非常に強く受けている時期があります。

これに関連して、三重県立美術館、福島県立美術館の館長を歴任した 酒井哲朗氏が以下の通り述べています;

(佐藤忠良の彫刻に関して)

着衣の人物像は、1960年代に〈冬のこども〉や〈風の子〉などで試みられ、その後〈マント〉〈ボタン〉(1969)などといった作品が制作されている。〈マント〉や〈ボタン〉は、顔と手足の一部を除いて、人体はマントやスカート、ブーツに覆われている。人体の垂直の軸線とコスチュームが形成する面やボリュームを巧みに構成して、裸体では得られないフォルムを創造し、現代的な人間像の表現に新しい分野を開いた。裸体を至上の美とみなす芸術観からすると、余剰とみなされる装飾的、意匠的要素を導入して、新しい彫刻美を追求しようとしたわけだが、それにはイタリア彫刻の刺激があったことを見逃せない。1960年代に、マリーニ、グレコ、マンズー、ファッチーニ、クロチェッティらイタリアの具象彫刻が日本に紹介され、これらイタリア現代作家たちのエスプリや斬新な空間表現は鮮烈な印象を与えた。だが、佐藤さんの場合、その作品を見れば明かなように、イタリア彫刻を外形的に模倣したのではなく、それらが佐藤さんの思考を活性化させ、佐藤さん固有の造形思考と感性のなかで方法化され、独自のスタイルを創造するのに役だっている。

 

(引用元:http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/55757038828.htm)

 

馬の彫刻で有名なマリノ・マリーニに師事したのは、日本の彫刻家・吾妻兼治郎。マリーニが亡くなるまで、最も近い存在としてマリーニを支えました。

また、マンズーは、佐藤忠良が設立に携わった、東京造形大学にギャラリーがあります。

風の彫刻家・ファッツィーニやクロチェッティは、日本の戦後を代表する彫刻家たちに大きな影響を与えたことが、様々な作品から一目瞭然です。

イタリアの具象彫刻は戦後の彫刻家たちに大きな影響を与え、グレコもその一人として、日本の彫刻家たちからリスペクトされていました。

その一環として、仙台市の彫刻のあるまちづくりでも、佐藤忠良や舟越保武とならび、グレコやクロチェッティの作品が設置されました。

このあたりは以下の記事で詳しく紹介していますのでよろしければご覧ください。

 

※パブリックアートとは?屋外彫刻の歴史と日本のパブリックアート

パブリックアートとは?屋外彫刻の歴史と日本のパブリックアート

 

エミリオ・グレコ・略歴

1913年 イタリアのシチリア島に生まれる。

1927年 墓碑等を取り扱う石工の徒弟となり、古代彫刻の修理や墓碑制作にたずさわる。

1943年 ローマ・クワトリエンナーレ展で出品作品が認められ、彫刻家の活動を開始。

1946年 自身初となる個展をローマにて開催。

1948年 ニューヨーク近代美術館(MoMA)のイタリア美術展に出品。

1955年 ナポリ・アカデミアの教授に就任。

1956年 ヴェネツィア・ビエンナーレで彫刻大賞を受賞する

1961年 パリ(ロダン美術館)、東京、大阪、ニューヨークで個展を開催。

1968年 ローマ・アカデミア美術学校の教授に就任。

1979年 ソ連のエルミタージュ美術館で個展を開催

1991年 エミリオ・グレコ美術館がイタリアのオルヴィエートに開館。

1994年 エミリオ・グレコ美術館がカターニアに開館。

1995年 死去。享年82歳。

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